4月のお知らせ

コロナウィルスの自粛が続き当教室も毎日ニュースとにらめっこですが現在のところレッスンは細心の注意を払い通常どおり行います。

以下当教室のコロナウィルス対策と皆様へのお願い

  • レッスン前と後に手洗い(石鹸を用意しましたのでハンカチを持参下さい。)
  • ドアノブ消毒、こまめな換気(晴れた日は窓を開放)
  • スカイプ環境のある方は今後のレッスン導入も検討中です。お知らせ下さい。
  • ご家族に渡航のご予定がある方は、お知らせ下さい。
  • 当面の間、話す時は1~2m程度の距離を取りレッスンを行います。ご理解ご協力お願い致します。
  • 皆様におかれましては体調管理には十分に注意をして頂くと共に体調の優れない方はレッスンを控え内科や耳鼻科を受診して頂くなどの協力をお願い致します。
  • 無症状な方がいる場合もございます。マスクの着用に、ご協力お願い致します。

只今、コロナウィルスの影響により新規の体験レッスンは中止しております。

今月のレッスンお休み4月7日(火)8 日(水)

今月の作曲家ベートーヴェン(第2回)

1784年には正式な宮廷オルガン奏者に就任し年収100ターラーの報酬を得る。(当時の平均年収は200〜400ターラー。28万〜57万円くらい?)1785年よりヴァイオリンを習い始め1789年には国立劇場のビオラ奏者として入団。宮廷のオルガン奏者でもあったから両方で同じ演目の時には、それぞれオルガンとビオラで演奏。作曲には役立ちそうな経験ですね。そうした生活の中、ある読書クラブの依頼で作曲したカンタータを1790年ボン訪れたハイドンが聴き高く評価。それがきっかけかどうか分かりませんが1792年22歳で宮廷の給費留学生としてウィーンへ移住しハイドンに師事。ハイドンは宮廷に支給額を増やす手紙を書いてくれるなど金銭的なサポートもしてくたようです。

しかし基礎理論を学ぶのにハイドンは大音楽家過ぎた?為かハイドンとは別に対位法や弦楽四重奏曲の作曲法、オペラや声楽といったそれぞれの専門の先生に週3日は学んでいた様子。当時のベートーヴェンはすでにウィーン社交界で人気者であったから学びへの強い情熱が伺えますね。ですが故郷ボンの宮廷はフランス軍の占領下となり1794年3月で留学費用が中止され10月には宮廷が消滅。ベートーヴェンは帰る宮廷(未来の宮廷楽長という職)を失いました。(続く…)

講師の演奏会情報

4/5(日)5/10(日)演奏会はコロナにより中止。

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